すべては「クルマが売れるコンピュータ!」で始まった!
栩野正喜


第1話 「福井社長との出会い」


私のコンサルタントへの「志」は、トヨタ系企業に在籍した頃に芽生えていました。その背景からシリーズでご紹介いたします。
実は、私は大学2年生の夏に「腎臓病」を患いました。これが完治せずに、授業を休みながらでも何とか4年間で卒業しましたが、困ったことは「就職」だったのです。試験には合格しても身体検査でアウトという悲しい状況でした。
こんな中で、当時、トヨタオート大阪鰍フ福井社長は「頭がいいか?」という問いに対して「いい!」という私の返答を確信して採用して下さった大恩人であります。この面接の時に「コンピュータをやりたい」という願いを聞いてくれました。豪快な人柄が目に浮かびますね。この福井社長は、ゴルフの名手で世界シニア選手権のチャンピオンという方です。ともかく、体格もすばらしく、威風堂々という方です。この方と何分でしょうか「にらめっこ」したのです。ほんとうに根性が要りました。
さて、入社(昭和48年)して見るとNCRの会計機(10年位経過した・・)があるだけで、それで、計算をしている状況でした。「これは約束がちがう!」と内心思いましたが、何せ、「病弱」でしたから辞めずにコンピュータを導入するチャンスと思い直したのです。そこで、自己申告や直訴を含めて「コンピュータ」を導入しようと言い始めたのです。
当時の先輩は、「今まで何人も導入を計画したがダメだった」と有難い(?)ご忠告をしてくれるのですが、当時の私は「それは、その人に実力がなかったからダメになっただけ!」と言い聞かせて「オレはできる!」と言いまくりました。まぁ無茶な新人が入社したものです。先輩のアドバイスに対して、それは実力がないからだと言うのですから大変な「革命児」だったと思います。
当時の福井社長や十河専務が温かく見守ってくださり、昭和50年にIBMのシステム32という機械の導入稟議を通してくださりました。IBMも入社2・3年の新米に「稟議」を書かせて、それが、社内で通ると読んだのですから、面白いものですね。ともかく、破天荒な新入社員だったのです。

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